岸部一徳この人物のオモテとウラ 岸部一徳:ぴかまま☆つれづれ日記

2010年02月11日

岸部一徳この人物のオモテとウラ 岸部一徳

この人物のオモテとウラ 岸部一徳
2010年1月30日(土)10時0分配信 日刊ゲンダイ

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●GS時代から大人の風格?

 俳優の岸部一徳(63)が「大阪ハムレット」で09年毎日映画コンクール・男優助演賞を受賞した。最近はドラマ「不毛地帯」で、男の嫉妬(しっと)まるだしの里井役を“怪演”。今や日本のドラマ・映画界の名脇役として、欠かせない存在だ。彼の変幻自在な演技を開花させたものは何だろう。そこに見えるのは、4人のキーパーソンだ。

 最初に岸部の才能にいち早く注目したのが、内田裕也。故郷の京都でバンドをやっていた岸部(当時は「おさみ」)は16〜17歳で大阪へ。「ファニーズ」というバンド名で、ジャズ喫茶で演奏している時に、東京からやってきた「寺内タケシとブルージーンズ」の前座を務めた。その時ボーカルだった内田裕也から「東京に出てこないか」とスカウトされる。ビッグチャンス到来のきっかけだった。

 上京して67年、GS「ザ・タイガース」でデビュー。ベーシストおよびリーダーだった岸部の愛称は「サリー」。タイガースは4枚目の「君だけに愛を」で人気を爆発させ、71年の解散まで不動の地位を誇った。岸部は181センチの長身で、アイドルだった沢田研二らと一線を画す存在だった。例えばベトナム戦争が激化していた当時の雑誌インタビューで「一番怖いものは?」という質問に、岸部だけが「人の心」と答えている。当時から俳優としてのキャラクターを彷彿(ほうふつ)させ、大人の風格を漂わせていた。

 岸部の音楽的才能は、海外のアーティストからも支持されるほど卓越していた。日本公演のため来日していたレッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズが、テレビで見た岸部のプレーに感動し、しきりに会いたがっていたという逸話もあるほど。しかし岸部はまるで燃え尽きたように音楽をやめる。その少し前の75年に俳優デビュー。彼の背中を押してくれたのが、久世光彦だった。


●ノイローゼになるほどのめり込んで

 沢田研二が主演したドラマ「悪魔のようなあいつ」で、岸部は音楽を担当していた。そのときプロデューサーだった演出家の久世光彦に「出てみないか」と誘われる。その後、音楽をやめた岸部に、再び久世が「本格的に俳優をやってみれば」と強くプッシュ。俳優の才能を見抜いた久世が、育ての親として託したのが、女優の樹木希林だった。

 樹木希林の事務所で、岸部は「芝居の勉強はやらなくてもいい」と言われたそうだ。岸部の自然体に潜む変幻自在な可能性を、希林が「私と同じにおいがする」とかぎ取ったのかもしれない。

 79年には、希林の考案で改名。実父である岸部徳之介の徳、そして一から再出発という意味合いで「岸部一徳」。だが希林は岸部を昔の愛称「サリー」と呼んでいたというから、面白い!

 岸部の最大の転機は、小栗康平監督の「死の棘」(90年)。撮影中にノイローゼ状態になるほど、役にのめり込んでいた。監督から「何も演技することがないのが一番いい」と指導されるが、ほとんど理解できなかったという。それが「役に近い」と言われると、再びノイローゼ状態に陥る。だが作品を見た瞬間、岸部の中で何かがはじけた。岸部の独特の存在感は、演技か本物かというスレスレを「死の棘」で突破したからこそといえる。

 凄い俳優である。

日刊ゲンダイ2010年1月27日掲載)

この人物のオモテとウラ 松重豊(俳優)
唐沢寿明さん(不毛地帯)難役の演技も「面白い」

★★★

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posted by ぴかまま at 12:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能
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